臨死体験?

Q. 臨死体験をした人達は死後の世界を見た人達ですか?

 

A.いいえ、そうではありません。


臨死体験をした人というのは、霊魂学ではまだ死んでいない人達なので、死後生活する世界を見て来られるわけではありません。


 医学的な死の決定は、「心臓が止まったり、脳が停止したりする」と「死」としているようです。ところが、霊魂学ではそうではありません。
霊魂学では、「死後使用する身体である幽体が肉体から離れて戻れなくなった状態」を「死」と言います。


 幽体は、その一部が肉体からずれたり、完全に肉体から出てしまっても、まだ元に戻り得る可能性がある時があります。そうした状態は、霊的には人は死んでいないのです。つまり、一見死んだように見える人が再び生き返ったというような場合は、幽体が肉体に戻り得る状態だったのであって、その人は、霊的には死んでいなかったのです。


 さらに細かくいうと、幽体と肉体は少しくらいずれても紐でつながっていると想像してみてください。その紐が切れた時が霊的な死なのです。そして、紐が切れていない人は、まだ、肉体に戻る可能性があるということになるのです。


 つまり、臨死体験をした人達というのは、誰でも皆、最終的には肉体に戻っていますので、霊的にはまだ肉体と完全な分離をしていなかった人達なのです。


 幽体が肉体から完全に分離しなければ、普通は死後に生活する世界へは入れないそうです。ですから、臨死体験をした人達が花畑を見たとか、とても綺麗な所へ行って来たとか、いろいろ体験を語られていますが、それはどうも、本当に死んでから、その人が住む世界ではないようです。

 ですから、臨死体験をした人達が本当に他界された場合、その人達が想像しているような美しい世界へ住めるとは限らないのです。

 

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実際は、もっと悲しく、苦しく、暗い世界に住むことになる可能性も充分あるのです。

 


 


幽体離脱 という言葉をよく聞きますが、完全に離脱してしまうと、もう戻れないということなのですね。
幽体離脱を試みている方、一日も早く、やめた方がいいと思います!

 

 

先祖供養②

先祖供養は悪いことじゃないし、良いことなのだから、やらないよりやったほうがいいに決まっている・・・。

ご先祖様はきっと自分の力になってくれる・・・。
子孫が困っているのを見て見ぬ振りは絶対しないはずだ・・・。

ご先祖様には感謝しなさい。しないとバチがあたります。

 

 

私は、お墓参りはピクニック気分で、法事は「普段会えないイトコに会えるチャンス」としか思っていない不届き者でした。
感謝し供養をすると、いいことがあるかもしれないと思っていました。


昔は、「おじいちゃ~ん、今日の試合に勝たせてください!」とか、「おばぁちゃ~ん、今年は良いことがありますように!」とか仏壇でお願いをしていました。
「おじいちゃ~ん、お財布がどこにあるか教えてください。あと5分以内に見つからないと学校に遅刻してしまいます!!」なんて・・・。

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つまり、私自信が、一番ご利益を求めていたわけです。
仏壇やお墓には、ご先祖様とのホットラインが引かれていると思っていました。
いつもそこにいて、子孫を見守ってくれていると思っていました。


みなさんはそうではありませんでしたか?

 


霊魂の世界に行った魂が成長するために、地上のお経もお線香も、仏壇のお水もお塩もまったく必要ではないのです。


供養とは、「先祖のための宗教行事」ではなく、「残された家族・子孫の心の安定」のためなのでした・・・。

先祖供養①

皆さんのおうちでは、ちゃんと先祖の供養をしていますか?
お盆やお彼岸にはお墓に行き、仏壇にはお水やご飯を供えていますか?

 

霊魂学的には、特に先祖供養が必要だとは言っていません。
でも、供養はしたほうがいいと言っています。
矛盾していますが、それは何故なのでしょうか・・・?


もし、自分が死んだら、子孫には自分への供養を欠かさないでほしいと思いますか?
それとも、自分自身、あまり熱心にしてこなかったとしたら、子孫には特に期待はしませんか?

普通の人は、自分はやってこなかったけど、子孫が自分をなおざりにしたら、怒ると思います。悲しむと思います。
墓参りぐらいしろ!って化けて出るかもしれません。

つまり、そういうことなのです。

 


普通は、死後、行くべき世界に行きます。
ちゃんと指導霊について、行くべき世界に行った霊魂は、そこでの勉強・やるべきことがあるので、地上にはあまり戻ってきません。仏壇やお墓にはまずいません。
上位の霊魂の許可があって初めて一時地上に戻ることができます。

 

そのような霊魂はよいのですが、先祖の中で下層幽界に行ってしまった人が地上に舞い戻ってきた時、自分達が供養されていないのを知って、子孫といえども霊障を起こすことはあるようです。そうならないために、最低限の供養はやった方がよいということなのです。

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49日間は地上に留まるといった説は、霊的にはなんの根拠もなく、地上から想念は、先祖の霊にはほぼ届かないそうです。 そして、お経やお線香をあげれば、その魂が救われるとか成仏するということではないそうです。

 

自分のご先祖様には、そんな怖い人はいない!
なんて確信できますか?

 

確信できないのであれば、ご先祖様をなだめるためにも、普通に供養してあげる方がいいのではないかと思います。

 

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皆さんは、自分が死んで、供養されないですぐに忘れられてしまっても、怒らない自信、ありますか?

未熟な霊魂からの想念

地上をうろつく未熟な霊魂は、人が考える以上にたくさんるそうです。

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その中には、人に悪さをし、人間同士の争いを好む、霊魂がいます。

彼らは、人間に関与して、人間を不幸にすることに喜びを感じています。

彼らは、人の耳元で、いつも囁こうとしています。
人の負の感情を煽り立てます。

人の出す念というのは、ある質量を持っています。それを霊魂は利用します。怒りや恨みの念が大好きです。それを増幅させます。

耳元で、「死んでしまおうよ~」「あいつを殴ってしまえよ~」「我慢なんですることないよ~」

そんなことを毎日ずっと囁かれたら、誰しもその気になってしまうと思います。

 

気がついたら、薬を飲んでいた・・・

気がついたら、人を突き飛ばしていた・・・

気がついたら、ナイフで人を刺していた・・・

すぐ腹が立つ・・・

すぐ喧嘩になってしまう・・・

我慢できない・・・

 

邪霊は、どんどんその人の魂を曇らせようとします。

人のオーラはますます暗くなり、ますます守護霊の視界から遠ざかります。

 

それを阻止しようと活動している霊魂たちがいます。
守護霊は必死に自分の担当する人間を守ろうとして想念を送ってきます。
でも、届きません。守護霊からはよく見えないし、邪霊ほど、人間のそばには寄れないからです。


また、自分では良かれと思って人間に関与する霊魂がいます。
本人には、悪いと思う意識はありません。
霊魂なりに、一所懸命なのです。人間が望むことを叶えさせてあげようと思っています。
でも、叶えることが、その人にとって良いことなのかは考えていません。

人の願望と、その霊魂の気持ちが合致した時に、願いが叶うことがあります。
「人には見えないものを見てみたい」「人の知らないことを当ててみたい」


そこに関与する霊魂は、邪悪な気持ちを持っていなくても、人間の霊的成長にとってはマイナスとなります。 未熟で、未発達で、人間にはあまり関わってほしくない種類の霊魂です。しかし、その霊魂たちは言います。

 

「俺らは、お前たちが望んだから、叶えてやっているんだ。それがなぜ悪い?」

 

つまり、未熟な霊魂をそばに寄せるのも、人間側の意思だと言えるのです。

 

守護霊からの想念 

地上の人間に関わる霊魂は、絶えず、人に想念を送っています。

 

その想念は、二種類に分けられます。

一つは、守護霊や指導霊からの、高い意識の想念であり、 もう一つは、邪霊からの未熟な想念です。

 

守護・指導霊は、人を霊的なことに接するように導こうとします。
担当する人の成長を願い、カルマを一つでも軽減でき、辛い下層幽界に行かないように常に指導を試みています。

しかし、ここに、一つの大きな問題があります。
守護霊との霊的な距離がありすぎるということです。

 

守護霊には、地上の人間がほとんど見えません。見失ってしまうこともあるそうです。
そこで登場するのが、補助霊という、地上の人間と指導霊団を中継ぎする役目を持つ霊魂たちです。
守護霊との距離がある人ほど、補助霊の数が増えるということになります。

 

伝言ゲームを思い浮かべてください。
1人の人が、隣の人に伝えます。それをまた隣の人に伝えます。
最後の人の伝わった時には、最初とはかなり違った内容になることはよくあることですよね。
地上の人間に近い補助霊となると、意識もさほど高くはありません。言われたことを伝えるのではなく、自分の考えを伝えてしまうこともありえます。

 

人は、守護霊との距離を縮める努力が一番必要なのです。
補助霊なしで、守護霊からの霊感を直接受けられ、自分の守護霊に対する想念が直接届く・・・。
それが一番の理想であって、成長のための一番の近道になります。

 

いつも、守護霊を意識してください。
迷った時は、守護霊に想念を飛ばしてください。
短い言葉で、何回も伝えてください。

毎朝、おはようございます! と呼びかけるだけでも構いません。

 

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そのような想念の交流が、守護霊との距離を縮めることに役立ちます。 そして、守護霊とのホットラインが太く確実になっていきます。


しかしここに落とし穴があります。

もし、なんらかの回答を受けたと感じた場合、
もしそれが、自分にとって、楽な方法だった時・・・、
自分に都合のよいことだった時・・・、
それは、もしかして、未熟な霊魂からの想念かもしれません。

霊的身体に不具合を持つことが多い普通の人間は、高級な霊魂よりも、邪霊からの想念の方が受けやすいのです。

 


「守護霊のボケ!何やっとるんじゃい。しっかり私を守らんかい!」
と思っているそこのあなた!

 

守護霊の方こそ、こう言いたいのだと思いますよ。

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幽体の質

死後、よりよい世界に行くには、幽体の質を上げる

これに尽きるそうです。

 

人は、強い恨みなどの念を出すと、その念により他の人の幽体を傷つけてしまうことがあります。
人が発する念というものは、相手が特定されていれば、発した瞬間に相手に届きます。
念を送られた人は、幽体に傷がつきます。


その幽体が頑丈であるか、ひ弱であるかによって、ダメージは異なります。幽体がひ弱な人は、他の人から攻撃的な念を受けると、幽体が傷つき、ますますオーラが輝かなくなります。


長い間には、肉体にまで影響が出るすることがあるようです。


この世は、念が飛び交っています。通勤電車の中でも毎日のようにトラブルが発生し、会社では、足の引っ張り合い、陰口の言い合い・・・。学校では、イジメや無視、そしていかにライバルに打ち勝つかと・・・。

 

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よい大学に行き、よい会社に就職したい・・・。
より出世して、高い給料と名声を得たい・・・。
お隣の人よりのほんの少しでも、よい生活をしたい・・・。

誰もが、そう思います。ごく普通の感情だと思います。
でも、自分の努力によりそれが叶ったとしても、妬みや羨みの念は受けます。

 

「自分が努力してつかんだんだ!努力しないおまえらが悪い!」と思ったところで、念は容赦なく飛んできます。
納得の出来ない妬みであっても、勘違いによる恨みであっても、念が飛ぶということには変わりがありません。
それが自分の幽体にチクチクと突き刺さります。

 

そんな中で私たちは毎日生活をしているわけです。

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小さな傷は、自然に治っていきます。でも深い傷はなかなか治りません。治らないままの幽体で死後の世界に行ってしまうと、当然、幽界の下の方の世界に行くことになってしまいます。

 

昔は、神社には、幽体をきれいにする効果がありました。きれいな幽気というものが降り注ぐ場所でした。
薬用のシャワーを浴びるが如しに、傷ついた幽体が回復します。


しかし今は、お正月ともなれば、初詣と称して信仰心もない人が大勢神社に押しかけ、自分勝手なお願いばかりをしています。

昔のような役目をする神社はほぼないと言っていいくらい、数少なくなっているようです。

 

ということは、今の人は、日常生活においてダメージを受けた幽体を直す術がないのです。

多くの人は、少しずつ少しずつ、傷が増えて行きます。
そして、オーラがどんどん暗くなっていきます。

 

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それが何を意味するかと言うと、死後の幸せとは、ほど遠いものとなってしまうということなのです。

 

生きていくうちの、ごく普通の感情・・・
それが、人間同士の幽体の質を下げることだとしたら・・・。

 

では、どうしたら、幽体の質を上げることができるのでしょう・・・?

 

 


この話を聞いた時、私は思いました。
念で傷つくのであれば、良いことをしたり感謝されたりする感情や愛情で、幽体は回復するのではないかと・・・。

そうであってほしい、そうあるべきだと。


でも、悲しいことに、そうではありませんでした・・・。

 

守護霊

誰にでも守護霊が1人います。

この世に生まれた時から死ぬまで、そして、死後しばらくの間、私たちを守護・指導してくださいます。
ただ、巷で言われているような、ご先祖様や先に他界した近しい人などではありません。自分の持つカルマや生まれる家庭の環境等を考慮し、最も適切な霊魂が選ばれるようです。

みなさんは、「守護霊とは、自分の願いを聞いてくれる存在」なんて、勝手に期待していませんか?

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もし、自分の担当する人間が、苦難に遭っていても、それを乗り越えることでその人の成長につながることであれば、守護霊は涙をこらえ、ただ見守っています。
その人のためには、何が一番大切かを、先の先まで考えています。
目の前の、この世の幸せだけを考えているわけではありません。

 

人には、それぞれ、生きるテーマがあります。乗り越えるべき課題を各自が持っています。
守護霊だけでは指導しきれない場合、指導霊というものがつきます。 守護霊が担任の先生だとしたら、指導霊は、専門教科の先生のようなものです。
自分の得意とする分野の指導をします。


もし、簡単に願いを叶えてくれるとしたら、守護霊を装った未熟な霊魂なのかもしれません。


さて、あなたを迎えに来てくれる霊魂とは、どのようなレベルの霊魂なのでしょう・・・?

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もし、自分が守護霊だとしたら、担当する人間に、まず何を望みますか?

 

まず、この世は物質だけの世界ではないことを知ってほしいです。
遥かに長く続く死後の世界で幸せになる為に、今を生きて欲しいと思うはずです。
そのために、霊的な世界の正しい知識をつけてほしいと願うはずです。
そして、それを知った上で、この世の生活を楽しんでほしいと思うはずです。

 

あなたが守護霊だとしたら、自分が担当する人間の、この世だけの幸せに手を貸しますか?