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霊的に生きる・・・腐ったケーキ

霊的に生きる

大勢の人が言いました。


「このケーキ美味しいね~!」

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一口しかまだ食べていない人も、ほとんど食べ終わってしまった人も、みんな、美味しいと言います。 でも、ある人が言いました。

「ん?これ、腐っていない??」

「何言っているんだ!なんともないよ!腐っていたら、一口食べただけでわかるさ」
「あなたの味覚がおかしいのじゃないの?」
「何か、このケーキ屋さんに怨みでもあるの?」
「このケーキはこういう味なんだよ。その微妙な味加減がわからないなんて、まだまだ子供だな」
「あなたはいつもそう。そうやって、いつも文句ばかりを言ってる。その性格、治した方がいいと思うよ」
「どこが腐っているというんだ?この生クリーム?それともスポンジ?フルーツ?はっきり何処といえないのに、ただ腐っているって言われても、答えようがないよ」
「いやだったら、食べなければいいじゃないか!」
「もう君なんか、誘わないよ、こっちの気分が悪くなるだけだから」

その人は、がっかりしてしまいました。そして、とても疲れてしまいました。

「腐っている」と言ってから、「え?もう一口食べて確かめてみよう」という人がだれもいなかったからです。

何で、みんな解ってくれないのだろうか・・・?


何で、解ろうとしてくれないのだろうか・・・?

美味しい・腐っていないという前提で物を食べる時、何も感じないかもしれません。
でも、もしかして?と 確かめようと思って食べると、そこに隠れていた別の味覚に気が付くかもしれないのに・・・。

何故その人は、そう言ったのだろうか?
いつも「文句」ばかり言うし、いつも人とちょっと違うことを言うから周りから「変な人」だと思われやすいけど、そこには真実はまったくないのだろうか?

もう一口食べた上で、「でも腐ってなんかいないよ!」というのであれば、きっと、その人は納得したに違いありません。

多分、その人の味覚が少し人と違っていたのでしょう。
単なる、好き嫌いの範疇だったのかもしれません。

でも、もしかして、何人かは、何かさっきと違う味を発見した人がいたかもしれません。


何もしようとせず、自分の記憶・先入観だけで、決め付けてしまうことって、真実から遠ざかることでも、あると思うんです。


「美味しい」と言ってしまった手前、もう引っ込みが付かなくなっているのかもしれません。
もう一度味を確かめるということは、自分を一瞬でも否定しなくてはならないことだから・・・。


あなたは、「腐ってる」といわれた時に、どのような反応をしますか?

やはりまず、反射的に、「そんなことはないよ~!!」って、否定してしまいますか?

でもそれは、心理学でいうところの「自己保存」というヤツですよね。



人の本性の一つでもある「自己保存」がために、真実が見えにくいってことが、あるように思います。

  



霊的に生きる・・・人間って

霊的に生きる

人間って


わがままで、自分勝手で、自分が一番大事で、

自己中で、偽善的で、表面だけを繕うことに躍起となる・・・。


いい人だねと思われたくて、すごいねと言われたくて、



理由を作って、自分を正当化して・・・

 

屁理屈並べて、自分を納得させて・・・


本当の自分を認めたくなくて。。。


時々、思う。

早く人間 辞めたいな って

 

 

だから・・・、

 

自分がいやだから・・・

 

修行してよりマシな人間になりたいと思うのです・・・。


修行をすると、マシな人間になれる?

それは、よくわかりません。



でも、それしか方法を知らないから・・・。

 

 

霊魂学deオフロード・・・旧「霊魂学を学ぼう」  Vol. 13

霊魂学を学ぼう!

霊的なことに関するトピックを、様々な角度からアプローチ。オフロード的で面白い、とっておきのお話をお届けします。

■■ 霊魂学deオフロード Vol. 13

(霊魂学カフェテリア Vol. 13 - June 2016 より)


随分と昔の話になりますが、毎年夏になるとテレビで心霊写真の特集が組まれるのが風物詩となっていると言えるような時代がありました。

現代はインターネットが普及し、個々人が高解像度の動画を撮り、さらには加工までできる時代になってしまい、

「あ~、こりゃ、どう見てもCGだ~!!」

としか思えないものがネット上ではあふれ返り、そこに日本的な?情緒的な?恐ろしさを感じることができないと感じているのは自分だけではないと思うのです。

そう、かつて荒俣宏氏が「本朝幻想文学縁起」の冒頭において「震えて眠る子らに」と描写した、昔の日本の子ども達が、夜ごとの寝物語に感じたであろう「恐怖だけでなく、無意識の性衝動に良く似た恍惚感」がなくなってしまっているのではないでしょうか。

おそらく、その現代版心霊写真に恐怖を感じられなくなっているのは…

間違いなく自分自身の「老い」だけのせいではないはず!!!!

と、しておきますね(笑)

昔は、どこに何が映っているのだかわからない心霊写真と称されるものを画面に映し、視聴者が、「どこだ、どこに映ってるんだ~??」と探し、「あっ!!」と見つける、

もしくは画面がそこにズームしたところに霊能者と呼ばれる方が、「これこれこう言った事情があり、そこで亡くなられた方が成仏できず…」と「物語」を語り始めるのが常だったように思います。

今になって思うと、当時の心霊写真番組は、それまで見えなかったはずの顔らしきものを探すことにより、現代脳科学の、三つの点が顔に見える「シミュラクラ現象」や、「アハ体験」を経験し、さらに霊能者の語るモノガタリで恐怖が増し、印象づけられるという、無意識のうちに高度な脳科学を用いて制作されていたように思えます。

さて、水波霊魂学での心霊写真についての解釈ですが。

http://www.interq.or.jp/mercury/w22525/sub28c.htm

にあるように、全く錯覚、インチキというわけではないようで、日々、地上に干渉しようとする霊魂達の技術も向上しているようです。

もしかしたら、最近youtube等にアップされている心霊動画にも本物がまぎれこんでいるのかもしれませんね。

きっかけはどうあれ、霊的に目覚める方が一人でも増えて欲しいと思うのですが…

(by タニグク)

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契山館広報部発行のメールマガジン「霊魂学カフェテリア」より、許可を得て転載しています。

http://kouhou-keizankan.jp/newspage3.html

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心の鏡・・・心の勉強

たましいの帰り道【心の鏡】

5. 心の勉強


心は毎日勉強しています。ですが、それはすぐに忘れて行きます。心、それは単に人間の脳が生み出した心理なのでしょうか。そこで、心について考えてみました。

仮に、脳が消えてしまったとします。あるいは、機能しなくなったとします。すると、心は一体どうなるのでしょうか。

学者さん達は、意識が消えて何もなくなるとおっしゃると思えます。また、臨死体験を重視される人達は、心は確実に存在していたとおっしゃることでしょう。

そこで、師に、心について伺いました。

こんな回答が返って来ました。

 

「人の心は脳によって表現されている。そのため、心は脳がないと正しく機能しない。そういう意味では、脳が心とも言えよう。だが、心は、それだけではない。なぜなら、心には、表面の部分と、より深い部分があるからである。

深い部分は、肉の脳に頼っていない。それは別の機能によって表現されている。

仮に人間が他界しても、それがあるから自己を表現できるのである。仮に、死後の世界があれば、人間は必ず、別の機能を必要とする。それでなければ、人間は地上時代の記憶をなくしてしまうことになる。」

師は更に、続けられました。

人の心は簡単ではない。そこには深い神秘がある。

たとえば、人の脳にある種の刺激を与えると、人の心はある一定の動きをする。ということは、他の心理が、ある人の脳に、その種の刺激を与えるならば、その人の心理を操ることも可能になるのである。

それは、逆の言い方をすれば、心は、脳によって表されているが、その脳も、別の心によって操られることを意味している。そして、その別の心は、他の人の心であるとは限らない。霊魂や、その人の深い深い意識なのかもしれないのである。


心は本当に複雑ですね。


たましいの帰り道【心の鏡】

※許可を得て、転載しています。

心の鏡・・・秘密

たましいの帰り道【心の鏡】

4. 秘密

 

 人は心に秘密を持つことがあります。誰にも言えない秘密、それを抱えているだけでも辛くなるでしょう。それでも、人は秘密を守ろうとします。

 人によっては、それは、自分を守るためでしょうし、また、別の人にとっては、自分以外の誰かを守るためなのでしょう。

 簡単に話せる事は秘密ではありません。人に知られては困るから秘密なのです。

 

 ですが、子供の頃の秘密はずいぶんと違います。自分だけの秘密の隠れ家とか、秘密の遊び場とかいったものは、大人の深刻な秘密とは異なるものです。

 

 そこで、私は師に聞いたのです。

 「子供にとっての秘密は独占欲だったりして、大人のそれとは違うように思います。人は大人になるにしたがって、抱える荷物が増えて行きます。これは、心の成長に繋がるのでしょうか。」

 

 師は答えられました。

 「心の成長とは何を基準にするのであろうか。耐える力の事であろうか。

 人の心は、その人の置かれている状況に応じて変化して行く。ある時は苦しみ、ある時は喜ぶ。またある時は、涙を流し、次の瞬間には怒鳴り散らす。それらの心は全て感情の発現にすぎず、成長の証しではない

 感情に振り回される事なく、耐えることが出来れば、それは、自分の信念によって、己を律したのである。

 たとえ、人が自分を守るために自分の秘密を守っているだけであったとしても、自分の意志の力によって、感情に打ち勝っているのであれば、それは心の強さである。

 ただし、感情自体は人の意識の正常な表現である。そのため、心が強くなったという一面においてのみ、それは、成長したと言えるであろう。」

 


たましいの帰り道【心の鏡】

※許可を得て、転載しています。

心の鏡・・・心の安定

たましいの帰り道【心の鏡】

3.心の安定

よく心を安らかにして暮らすことが良いことだと言われます。

それが修行だと考える方もいるようです。

そうであるとすれば、仮に、自分のまわりに差別を受けたり、暴力を受けたりして苦しんでいる人がいても、心を揺らさず、平然としていなければならないことになります。 それが本当に良いことなのでしょうか。

もちろん、不必要に心を揺らしてばかりいては、ストレスも溜まりますし、心身に悪いことは確かでしょう。ですが、まわりでどんなに不正や悪行が行なわれていても平然として心を痛めないのとは少し違うように思えます。

真の安心とは何なのでしょうか!

 

師はこう言われました。

「心を安定させることは大切。

しかし、人の感情は必要以上に抑えると、まるでバネのように反動が起きるものである。

真の心の安定を目指すのなら、人生にとって真に大切な事のためには心を揺らしても行動し、それ以外の事のためには感情が激化し過ぎないように調整し、些細な事には感情を揺らさないようにするべきである。

感情は暴走しても、抑えすぎても不調和を招く。」

 

心というものは苛めすぎても、野放しにしても、進歩しないのだと思いました。

 


たましいの帰り道【心の鏡】

※許可を得て、転載しています。

心の鏡・・・信じる心

たましいの帰り道【心の鏡】

2.信じる心

人が何かを信じるという時、それが他の人の愛であるのか、宗教の神であるのかを問わず、自分がそれを信じられるからには、その対象を信用しているということになります。信用しないものを信じるということは普通は考えられません。

ところが、人間は複雑です。場合によっては、信じると言いながらも信用しない、という人がいます。

たとえば、ある人は自分の交際相手が他の誰かと付き合っているのではないかと疑っていました。これは、当然、信用していない、という心理だと言えます。ですが、この人は、人に聞かれると、彼を信じている、と言うのでした。

つまり、本当は信じているとは言えなくても、信じたい、という気持ちがあるのでした。

一方、宗教の世界はどうでしょうか。

神や仏を信じていると言いながら、信用しない、ということがあるのでしょうか。

こちらの方も、あるようでした。

神にご利益を祈っても、めったに適わないと思っていても、神の存在はあると確信しているので、神を信じているが信用していない、という人達がいるのでした。

そこで、私は思いました。神が実在しても、なぜ、祈りが適わないのか、それは、単に信じる気持ちが弱いからなのか、もっと、その理由を考えるべきではないのか、と。

そんな時、師はこうおっしゃいました。

神は信じていても信用すべきではない。それは、人間が神を正しくとらえていないからである。真の神が上にいらっしゃるのに、下を向いて邪悪な霊魂に語っていても、その祈りは無意味である。
 人は、神とは何か、それを先に学ばなければならない。神を知らずに、神を信じられる方が不思議である。

幼くして親と別れた子が成長すると、親を探そうとするように、人は、神を探さなければ、神は人には微笑むことはない。」

私は、神を探さずに、神を語っていることに気が付きました。


たましいの帰り道【心の鏡】

※許可を得て、転載しています。